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武田 義信
武田義信は、天文八年(1538)信玄の嫡男として生まれ幼名を太郎、元服して義信と
名乗り一五歳の時に今川義元の娘と結婚した。これにより甲駿の同盟関係はさらに
強固になった。一七歳で初陣を飾り信濃佐久郡に出陣し要害を九つ落とした。
その後、川中島での上杉軍との戦闘で旗本五〇騎、雑兵四〇〇人を率い脇備えを固め
武田家の総領に恥じない活躍をした。この激戦で義信は、父信玄ともども手傷をおっ
たという。当時二四歳。この勇猛な若武者がやがて武田の家督を継ぐことは間違いないと
思われた。ところが、その前年今川義元が織田信長に桶狭間で敗死したのが発端で、
信玄、義信父子の絆に亀裂が生じてきた。信玄は駿河に侵攻を決めた。義信の妻は義元の
娘であり跡を継いだ 氏真とは義兄弟である。義信は父の駿河侵攻を承伏できず謀反を企
てたが発覚、守り役飯富虎昌は処刑、義信は東光寺に幽閉され二年後、義信は自刃した。
あるいは病死説もある。
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